朝鮮人参や高麗人参とも呼ばれるオタネニンジン。
あまり薬膳や漢方にくわしくない方でもオタネニンジンというと、「元気が出そう」とか「高そう」というイメージが湧く方も多いのではないでしょうか。
今回「補薬の王」とも言われるオタネニンジンの生産者さんを訪ねてきました。
オタネニンジンの3大産地、会津若松
日本で昔からオタネニンジン栽培が盛んな土地は、長野と島根、そして福島県の会津若松地方です。
今回はお爺さんの代から100年以上に渡りオタネニンジン栽培を営んでいらっしゃるという生産者さんを訪ねました。
オタネニンジンの堀り上げ作業は早朝4時ごろ、まだ暗い中から始まります。太陽の光に当たるとニンジンが乾燥し、収量が減ってしまうのだそうです。
ジャガイモ用のトラクターの角度を浅めにしてニンジンが傷つかないように調整されていました。
トラクターで掘って、後はひとつひとつ手で回収していきます。
ニンジンは水はけの管理がとても大変とのこと。水に浸かってしまうと全部がダメになってしまうそうです。
こちらの生産者さんは40年以上オタネニンジン栽培を続けていらっしゃいますが、とても研究熱心でいらっしゃり、「40年以上続けていてもまだ分からないことがある」と語っておられたのが印象的でした。
そんな試行錯誤の甲斐あってなのか、土がとてもふかふかしていて農学の先生も「とてもよい土」と評価していらっしゃいました。
今回掘り上げたのは4-5年生のニンジン。2年生と比べると根が太くて立派なものが多いなと感じました。
もじゃもじゃとしたヒゲ根がたくさん付いているのですが、このヒゲ根にオタネニンジンの主成分であるサポニンがたくさん含まれているそうです。
日本のオタネニンジン栽培の現状
朝鮮半島から渡ってきた朝鮮人参は、徳川吉宗の命で幕府により栽培が奨励されるようになり、「将軍より賜った種」という意味でオタネニンジンと呼ばれるようになりました。
それまでは大変な貴重品だったオタネニンジンを、幕府と指導と農民の努力によって輸出できるほどの品質までに向上させ、かなりの量を輸出していたそうです。
会津若松にもオタネニンジンとの歴史を感じられる「御薬園」という庭園があります。
会津松平の二代藩主正経によって疫病から領民を救い、病気の予防や治療などに使用する薬草の研究のために設けられた施設です。
今は国指定の名勝庭園となり、一部庭園内で薬用植物も栽培されています。
盛んな国産オタネニンジン栽培は戦後も続き、1950年-1960年頃にピークを迎えます。
ところが、1972年の日中国交正常化以降、安価な中国産生薬が大量に輸入されるようになり、国産は競争力を失い急速に衰退してしまいます。
現在のオタネニンジンの栽培戸数は当時の18分の1程度まで減少してしまったそうです。
何年も掛けて栽培されるオタネニンジンの魅力
一筋縄ではいかないオタネニンジン栽培。
1年で収穫できる一般的な農作物と違い、収穫までに4-5年、畑づくりを含めると7-8年の歳月を要します。
つまり生産者さんは収穫まで収益を得ることはできず、さらに手間暇かけて育てたにも関わらず天候によって全てがダメになってしまうリスクも抱えているこということです。
今回訪問させていただいた生産者さんの周りでも、オタネニンジン栽培を辞めて野菜の栽培に切り替える方も多く、ご本人たちも一度は野菜栽培への切替に踏み切ったこともあるそうです。
それでもやっぱり代々続けてきたオタネニンジン栽培がいいよね、とニンジン栽培に戻ったそうです。
▴1-2年目のオタネニンジンの圃場
「ニンジンを毎日スプーン1杯飲み続けているの。風邪なんか引かないし、冷え性に悩まされたこともない」と笑って話してくださった奥さまの言葉にオタネニンジンの魅力が詰まっている気がしました。
高い滋養強壮効果が期待でき、気を補い元気をつけてくれるオタネニンジン。希少で高価な理由が納得できました。
でも、やっぱりかつてのように日本でもたくさん栽培されて、私たちの手に届きやすいものであってほしい。
そのために何ができるのか、微力ながらこれからも考えていきたいと思います。